メランコリア
最近The Cureばかり聞いている。
春なのに。
めちゃくちゃ状態悪い日はNirvanaかsyrup16g、もっと気分が最悪なときは森田童子、浅川マキ、鬼束ちひろとか。
全てを遮断したいときはマイブラ、毛色は違うがナパーム・デスも聞く。
俺はこれまでアンダーグラウンドの音楽を良く聞いてきた。
今はコロナ禍で生で音楽を聞く機会は無い。
今の子はどうやって音楽と知り合うのだろう。
初めてフジロックに行ったとき、眼前に広がるテント群が視界に入ったとき、これは何かが変わるかも知れないと思った。
フジロックは日本のウッドストック、グラストンベリーやと思った。
あの時、同じ空間にいた人は今随分変わってしまっただろう。
結局、日本は何も変わらなかったし、祝祭的な空間もほぼほぼ無くなった。
要するにただのファッションだったのだ。
ほとんどの人にとって。
無意味な自己を肯定してくれる場は無くなった。諦めと怒りが蔓延してるように感じる。
でもそれが現実なんだ。
あの時同じ空間にいたみんなの大半は資本家や政府は自分を幸せにしてくれないのを分かっていて隷属せざるを得ない毎日を過ごしていることだろう。
奴隷天国。
一時期、ロック音楽はそれらの不満のガス抜き程度の役割しかないと思い、アンビエントミュージックばかり聞いていた時期もあった。
今は、彼等の表現していた怒りや虚無がより自分と同化している気がする。
メランコリアはラース・フォン・トリアーが監督した鬱映画。
キルスティン・ダンストが主演、最後の凛とした表情が印象的で、年に一回は見返してしまう。オープニングの映像も美しい。
シャルロット・ゲンズブールもキーファー・サザーランドもいい。
デタラメなのは鬱病のジャスティンか、その他の人々なのか。
人間が感情の生き物だとするなら、役割を演じている私たちは、本当に現実を見ていると言えるだろうか。
怒りや悲しみも感情の一つ。大切にした方がいい。それも自分だと思うから。