差別や階級がなければ闘争は起こらない
もう、近代日本の現状はこれにつきる。
敵と味方が、表面的には全くわからない。
単一民族のせいもある。
粘着質な腹の探りあいを誰もが経験しているだろう。
これ鬱の原因でもある。
相手が信用できないから、日常の細かいとこでも軽い緊張を強いられる。
赴任先で、例えば顧客とかでも同郷だと盛り上がるもんね。
連帯が無いと、感情は動かない。
言葉は自動機械のようにスラスラでできたとしても。
昔は一向一揆とか、天草四郎とか色々あったやん。彼等は追い詰められて、連帯して戦わざるを得なかった。
今はとてもゆっくり狡猾に権力が市民を搾取しているから、皆が気づきにくい。
例えば、明日から消費税50%とか、口座凍結ですってなったらさすがに皆が暴動を起こすだろう。
消費税に限らず社会保険もそう。
こちらはさらに分かりにくい。
近代の赤軍は高度経済成長期、オウムは1995年に、いわゆる、国家反逆を起こした訳だけど、あれは、誰のためのものだったのか。多分、自意識のためだろう。
何故学歴が高く、本来頭のいい人たちか革命ごっこにハマったかは考えてみたいと思うけど。
当時は、結局、みんなそこそこ食えてるから彼等を見る目が冷ややかだったし、ある意味、出来損ないのエンタメみたいなものだった。
被害にあった人には悪いけど、あの時、オウムのあの事件を、好奇心を持って見ていた。
インテリが観念で起こす革命は、やっぱりどこか滑稽だ。
逆襲のシャアのシャアも滑稽だ。
三島由紀夫は大好きだが、やはり当時の切腹騒ぎは滑稽だったんじゃないかな。
三島の危機感はあたっていたけどね。
例えば、今だとどうしても取り上げてしまうけど、オリンピックについても、声高には職場なんかで言わないし、ちょっと腫れ物的な話題って感じだ。
感覚的には大賛成ゼロ。消極的賛成(無観客とか)や、反対が100%だね。
つまり、食えてる時代のインテリの革命は今のオリンピックに対するテレビの中の議論みたいなものだ。
何の影響力も無いメディアの中で議論する事自体かなり滑稽だ。
自分自身も何か具体的な反対のアクションを起こしたわけでもないし、
SNSの中でバチバチの炎上があったとしても、流血沙汰になる訳じゃない。
暴動も起きない。
ただの見せ物なんだ。全てそうだ。
まだまだ日本は裕福だ。
アメリカでは黒人が白人警官に殺されて大きな暴動やデモに発展したが、日本ではあれほど明確に敵が見えることはないし、元々連帯もコミュニティも無い。
そのことは孤独で不幸なんじゃないだろうか。
ほとんどの人が、もちろん自分も含め、生活保護の人や、貧乏な人、弱者を自分自身と区別、差別したがるが、中流っぽさキープするため、中途半端な服とか車買って、めちゃくちゃ働かされている。
返済額には名一杯気を付けたが、住宅ローンは、ホント足かせもいいとこだ。
これだけ空き家が多いなか、中古住宅で十分だが、ローコストの新築住宅が新しい造成地にボコボコ生えていく。
一方では高度経済成長期の大型の団地はゴーストタウンと化している。
今も、中流幻想は続いている。
あと10年は続くだろうか。
それから先はもう無いだろうが。
俺は昭和生まれだが、昭和生まれが全員くたばったときに、この日本は変わるかもしれないと思っている。
昭和、日本の黄金期。
いい時の記憶は、必ずしも良いものじゃないな。
俺は、今、財政破綻した街で仕事をしていて、その街の良さなんて一個も見えないが、小学生の集団は元気に通学しているし、未来が暗黒だと思っているわけがない。
大人は、憂いてばかりいる。
やはり俺はレディオヘッドよりオアシス。
トム・ヨークよりギャラガー兄弟かな。
大人も、もっとタフにならなきゃね。